大判例

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東京高等裁判所 昭和31年(う)1409号 判決

控訴人 被告人 廬晟容 外一名

弁護人 柴田睦雄

原審検察官

検察官 池田浩三

主文

原判決中被告人廬晟容に関する部分を破棄する。

被告人廬晟容を懲役一年に処する。

原審における訴訟費用は全部被告人盧晟容と被告人金性女の連帯負担とする。

被告人両名の本件控訴はいずれもこれを棄却する。

理由

被告人廬晟容に関する原判決に対する検察官の本件控訴の趣意は末尾添附の千葉地方検察庁検事正代理検事入戸野行雄名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する被告人廬晟容の答弁は末尾添附の弁護人柴田睦雄提出の答弁書記載のとおりであり、被告人両名の本件控訴の趣意は末尾添附の弁護人柴田睦雄提出の控訴趣意書記載のとおりであるからここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は左のとおりである。

被告人両名の弁護人の控訴趣意について。

原判決の認定した被告人両名の詐欺の事実は、原判決引用の証拠によりこれを認めるに足り、記録を精査検討し当審における事実取調の結果に徴しても原判決の右事実の認定が所論のように誤認であるとは認められない。すなわち原判決引用の証拠によると、被告人両名は多年本邦に在住する朝鮮人夫婦で、長男廬在万が東京都台東区東区下根岸町五一番地第一交通興業株式会社に自動車運転者として勤務して得る収入により生計をたてていたところ、昭和二八年八月上旬頃右廬在万がパチンコ営業を経営するため同会社を退社したことから、同人及び同人の妻李達順(昭和二九年一月二三日死亡)と相謀り世帯主廬在万名義で千葉市長の委任を受けた千葉市福祉事務所長に対し廬在万が同会社においてこれまで月収一五、〇〇〇円位を得ていたが自動車事故で退職したので収入の見込がなく、現在失業中で家族が多いため最低生活の維持ができないから生活保護法による保護を得たい旨を申請して保護決定を受け、同年九月一日から生活扶助料として月額五、〇五五円を支給されていたが、同年一一月下旬右李達順が千葉市福祉事務所係員に対し世帯主の名義を被告人廬晟容に変更して夫廬在万は職探しに出たまま音信不通行方不明となり現在無収入であるから最低生活費全額の支給を受けたい旨申請し、同年一二月一日から生活扶助料として月額一二、〇〇〇余円乃至一三、〇〇〇余円を支給されているうち、右廬在万は昭和二九年四月頃旧職場である第一交通興業株式会社に自動車運転者として復帰し月収手取金平均約二〇、〇〇〇円を得るようになつたので、被告人両名は被保護者としてこのような収入その他生計の状況及び世帯の構成に変動があつた旨をすみやかに千葉市長又は千葉市福祉事務所長に届け出なければならない義務があるにかかわらず、従前と同様生活扶助料を得る意図の下に互に意思相通じてこの届け出をなさず、昭和二九年五月一〇日以降昭和三〇年一月一〇日までの間二一回に亘り同事務所係員を通じ同市長に対し右のような変動のあつた事情を秘し、依然廬在万が行方不明で被告人両名及び被保護者である家族全部が無収入で困窮のため最低生活を維持することができないもののように装い生活扶助料の支給方を請求し、同係員を通じ同市長をして従前同様に生活扶助料の給付を要するものと誤信させ、生活扶助料名下に合計二五四、二六〇円を給付させたことを認めることができるのである。そして生活保護法第一条はこの法律は日本国憲法第二五条に規定する理念に基き国が生活に困窮するすべての国民に対しその困窮の程度に応じ必要な保護を行いその最低限度の生活を保障すると共にその自立を助長することを目的とすると規定し、同条にいう国民とは日本国民を指称し、外国人である朝鮮人でわが国に在住する者をこの国民に含ませることができないからこのような朝鮮人に対し同法を適用することができないことは所論のとおりであるが、所論の厚生省社会局長通牒によれば生活に困窮する外国人に対しては当分の間日本国民に対する生活保護法に基く生活保護の決定、実施の取扱に準じて必要と認める保護を行う行政措置が採られていて、被告人両名及びその家族等もこの行政措置により前記のような生活扶助料の支給を受けていたものであつて、もともと生活保護法による保護は被保護者の最低限度の生活を保障するため困窮の程度に応じて必要な限度において行なわれるべきものであり、保護の適正な実施を計るには被保護者の生活の実態が常に保護の実施機関に明らかにされていることを要するので、保護の実施機関の側における職権調査が重要であると共にこれに対応して被保護者の側においても生活の実態を保護の実施機関に告知することが要請されることとなるのは当然であり、この見地から同法第六一条は被保護者は収入、支出その他生計の状況について変動があつたとき、又は居住地若しくは世帯の構成に異動があつたときは、すみやかに保護の実施機関又は福祉事務所長にその旨を届け出なければならないと規定しているのである。この被保護者の届出義務は、保護の適正な実施を計るためには日本国民が生活保護法により保護を受ける場合であると、外国人である朝鮮人が日本国民の生活保護法に基く生活保護の決定実施の取扱に準じた保護を受ける場合であることによつて異同のあるべきいわれなく、被保護者のひとしく負担すべき義務というべきであり、日本国民が被保護者である場合においては生活保護法第六一条による法律上の義務、外国人である朝鮮人が被保護者である場合においては行政措置によつて受ける保護に伴い同条の規定するところに準じ条理上当然課せられる義務であると解すべきものである。又この届出義務は生活保護法第六一条の文理上被保護者各自に課せられたものと解することができるのであるから、被告人両名は各自条理上この届出義務を負担するものといわねばならない。そして詐欺罪についての欺罔行為が他人に対し真実の事実を告知する義務ある者においてこれを秘することによつて相手方に錯誤を起さしめるにある場合に、その真実の事実を告知する義務は、必ずしも法律上の義務に限られるものではなく、右のような条理上当然相手方に告知すべき義務も亦これにあたるものと解するを相当とするのであるから、被告人両名が前記のように収入その他生計の状況の変動世帯の構成の異動を千葉市長又は千葉市福祉事務所長に届け出なければならない義務があるにかかわらず、従前と同様生活扶助料を得る意図の下に互に意思相通じて届出をなさず、右の変動のあつた事情を秘し依然廬在万が行方不明であり、被保護者である家族全員が無収入で最低限度の生活を維持することができないもののように装い、生活扶助料の請求をしたのは、同事務所係員を通じて千葉市長に対し欺罔行為に出たものに外ならないのである。なお原判決が被告人両名は生活保護法第六一条の命ずるところに従い収入その他生計の状況及び世帯の構成に変動があつた旨を千葉市長又は千葉市福祉事務所長に届け出なければならない義務を負うに至つたものと判示しているのは所論のとおりであり、被告人等の告知義務が法律上の義務であると判示しているものとも解せられ、措辞明確を欠き妥当ではないが、原判決は被告人両名に被保護者として生計状況の変動、世帯構成の異動についての告知義務の存することを判示しこれを前提として被告人両名にこれら変動及び異動を秘することによる欺罔行為の成立することを認定判示しているものであることは判文上自ら明らかであるから、結局被告人両名に詐欺の事実を認定するについては所論のように法令の解釈適用を誤つたものということはできない。しからば原判決の事実誤認並びに法令適用の誤を主張する論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 加納駿平 判事 吉田作穂 判事 山岸薫一)

弁護人柴田睦雄の控訴趣意

一 本件につき原判決が、被告人両名に対して有罪の認定をしたのは事実誤認法令の解釈を誤つたものであると考える。

原判決は、被告人両名が、「生活保護法第六十一条の届出義務を負うに至つたにもかかわらず、互に意思を通じあつてあえてこれを怠つた」旨認定する。

二 被告人両名に右法第六十一条の届出義務があるか。生活保護法は日本国憲法第二十五条に従つて制定されたものであり、その適用対象を法第一条で国民と限定している。即ち外国人は適用の対象にならぬものである。(昭和二十九年五月八日社発第三八二号各都道府県知事宛厚生省社会局長通牒参照)従つて、権利関係において朝鮮人たる被告人等が法律の適用を受けないとするならば当然その義務関係をも適用されないはずである。

三 もつとも朝鮮人に対しては現実には生活保護がなされているけれども、これは法律の適用によるものでなくて、外交上人道上の見地から生活に困窮する外国人に対して政府の行政措置として生活保護法と同内容の保護をするのである。右通牒においては法律の準用と云つているが、これは法律的意義の準用ではなくて右説明の如き意味で使用された言葉である。

四 勿論保護を受ける朝鮮人が生計の状況につき変動があつた場合に届出をなすことは条理上当然である。届出ずべき事項も法第六十一条と同内容の事項であろう。しかし届出をなす義務を負担するものが誰かと云うことについて法律の文理にとらわれず条理慣習上の立場から検討されなければならない。法律は被保護者と云う表現を使つているが、実務上世帯における変動届は世帯の一人からなされるのみで被保護者全員で届出をしているものではない。又条理から云つても世帯全員が届出ずるのでなく受領の責任者が届出でるのが普通であるし妥当である。

五 こう考えて来ると、法律の適用がなく、法律上の義務を負担しない被告人等の届出義務は条理上の問題となるのであるがその義務を負担するものは被告人のうちの一名と見るのが妥当である。被告人等のうち金性女は家事一切をきりまわしていたものであり受給についても実質上の責任者となつていた。廬晟容は家事一切にタツチしないで受給についても殆ど無関心の状態であつた。前者は実質上の責任者であり後者は世帯主の名義を冠せらるるが故に形式的な責任者と呼ぶことができよう。条理における届出義務は、いずれが負担するかは弁護人としては明言できないけれども実質上の責任者であつた金性女が負担しているのでないかと考える。原判決の如く法第六十一条の義務と見るのは法令の解釈を誤つたものであり、条理上の義務と見るにおいては被告人等のうち一名のみがその義務を負担していると考えるのである。

六 原判決では「意思相通じて義務を怠つた」と云うのであるけれども不作為犯の共謀は作為義務あるものの共謀でなければならぬと考える。一方に義務がない場合においては、意思相通じたと云つても共謀が成立するわけではない。廬晟容としては受給していることをただ知つていただけであり、家事とは無関係であつた事実から推せば積極的な意味で意思を通じあつた、即ち共謀したもつとは考えられない。この点について金性女の証言中、弁護人の問に対して「民生の金をやめると云うことについて廬在満廬晟容と話し合い、在満も仕方がないから貰つておこうと云いました。」と云う部分があるが、この中でも廬晟容の行為は積極的には出ていない。のみならずこの部分については弁護人は更に「廬晟容には話が聞えたのか」(彼は耳が遠い)と質問したとこう、「廬晟容には聞えない」と証言したのである。もつともこの部分については調書にのつていないし、弁護人の手続に対する怠慢もあつたのであるから、どうこう云うつもりはないが、廬晟容は大そう耳が遠い人であるからこの共謀の成立をこの証言によつて認めることは妥当でない。原判決は共謀して義務を怠つたと云つているが、意思を通じた一方が作為義務ある人間でなかつたこと更には共謀の事実を認定しうる証拠も存しないことから考えれば原判決は、法令の解釈を誤り事実の認定を誤つたものであると考える。

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